【プロジェクト・ヘイル・メアリー】原作小説と映画の違いについて、考察と感想

プロジェクト・ヘイル・メアリーには、原作小説と映画でいくつかの大きな相違点が存在する。
なぜここを改変したんだろう?とずっと思っていた部分が、最近なんとなくわかった気がするので、考察と感想を書く。(もうみんな気付いていることかもしれない。)

https://projecthm.movie/

以下映画及び原作のネタバレがマジで山ほど含まれます。

原作との相違点① 科学と推理

これはまあ、わかる。
原作の「自分が誰で、今どういう状況で、どこにいるか」すらわからない状態から仮説と実証を積み重ねて状況把握していくミステリ的な部分にかなり面白さを見出していたので、残念ではあるが、わかる。映画の尺と表現手法であれをやるのは無理。
南極の氷を爆破されて泣き崩れるヒロインおじさんとか、地球側のあれこれがかなりカットされていたのもまあ、わかる。ストラットのカラオケを差し込む暇はあったのに?

バリバリのサイエンスをやっているのに、サイエンスフィクションのサイエンスの部分に基本ついていけない私が読んでもなぜか面白い、あれらの科学パートがカットされたのは映画化する上で多分致し方ない都合である。

他にもアストロファージの生態の解明、タウ・セチが”感染”していない理由とタウメーバの進化、ロッキーとのコミュニケーション。
「科学で試行錯誤する」部分の面白さはほぼカットで、ロッキーとのバディとグレースの感動成長物語に完全にフォーカスされていたのもまあ、わかる。商業的にはそうだよね。え、そこで売るならロッキーのグッズ出してよ グレース人形も

とはいえ映像での表現が難しい部分、尺に合わない部分はばっさり切り捨てて割り切って映画用に翻案するというのは全然悪いことではない。

それでロッキーの動きが盛り盛りになったり、ブリップA(関係ないけど「ロッキーの船」をブリップAと呼ぶのは少し違和感がある。ヘイルメアリーから見た「正体不明物体A」くらいの意味なので)の内部の視覚的な美しさを見せたり、ロッキーとグレーズのハグだったり、「映像化する」ことに意味がある視覚的なシーンが増えるなら全然ありだと思う。

原作との相違点② グレースのナイーヴさとロッキーの明るさ

これが全然わからん。
と思ってたんだけど最近分かった気がする。

多分映画版プロジェクト・ヘイル・メアリーは「地球に居場所がなかったグレースが地球外の友人を得て居場所を見つける話」として作っているのではないか。

・原作のどんなに絶望的な状況でも科学を前向きに楽しんでいたナードさがナーフされ、ロッキーとのファーストコンタクトをおそれたり原作ほど生態知りたがってぐいぐいいかなかったりとやたらナイーブになっていたグレーズ
・↑に対し自分から無許可で船に転がり込んだり、食べるところを平然と見せたり原作より押しが強く陽気で幼いキャラクターになっていたロッキー

つまり
原作:「科学オタクおじさんと技術オタクおじさんが科学技術を共通言語とした信頼において対等なバディとして絆を築いていく」関係
映画:「地球に居場所がなく友に近かったカールにも裏切られ、「勇敢」になることがついにできず、絶望したグレースの手を引いて連れ出してくれるロッキーと、ロッキーのおかげで勇敢さを知り居場所を得たグレース」の文脈

と考えると二人のこの性格改変に納得がいく気がする。極端に言うと映画ロッキーはアラブの石油王。一昔前のディズニープリンス。

エイドリアンでの採取の際も命がけで助けてくれるのはロッキー側だけで、原作にはあったグレースの行為はカットされている。
これこそカットしなくてよかったよね? と思ってたけど、「グレースが救われる物語」として見せるためにカットしたと見ることもできる。
カールが無から生えた意味もね。

食糧問題がカットされたのもわかんなかったけど、尺とこの文脈に合わせるためと考えるとわかる気がする。映画のグレースは帰る手段があるのに帰らないことになるからだ。

なんかそう思うと 孤独なグレースが宇宙の果てで出会ったたった一人の友であるロッキーに原作よりなんというかマスコット的な、幼く明るい属性がつけられていたの グレースがロッキーを知りたがるシーンはカットされ、ロッキーが地球文化に親しむシーンだけ追加されていたのも なんか…… 

大衆向けに映画にするにあたって「そっちの方が受けがいい」と判断されたのかもしれないと思うと わかる わかるが 原作の冷静で口が悪くて辛辣でクールで凄腕エンジニアでグレースが戻ったことをすごく喜びつつ帰れ帰れって言ってくるかわいいロッキーも恋しいよ。

原作との相違点③ ストラットのカラオケ

マジで何?
真面目に考えると原作最後に明かされるストラットの歴史学専攻を削った分、ストラットの掘り下げなのかもしれないが、いや何?

その他の感想

この記事では原作との比較でいろいろ言ったけど、映画としては面白かったというか、私にとっては全然原作の方が面白いが、公平に見て映画もちゃんと面白かったと思う。
特に原作をそのまま削って映画化するのではなく、映画の核にする部分をとらえ直して再構築しているのは偉い 視覚的な美しさも。ロッキーの船、とても美しかったし音もきれいだった。

一番好きだったのはロッキーとの一度目の別れと、ロッキーのもとに戻ることを決意したグレースがビートルたちを発信させるシーン。
言葉で決意を見せずに、ビートルズの歌に乗せながらあの虫たちを地球に向けて送り出すことで、グレースの決意がわかってよかった。曲も。

一度目の別れのシーンは多分もうお互いふざけてやってると分かっている(ファーストコンタクトの際はロッキー側は分かっていなかったかもしれない)ダンスみたいな変な動きを、いつまでもお互いに交わし合って、離れがたさを愛おしむようにするのが、すごく明るい悲しさと寂しさがあって好きだった。

反面原作で一番好きなロッキーのために戻る決意をするあたりはもっとできたんじゃないか?と思う 映画としてのいい部分もたくさんあるし原作から変えている部分も納得はできる分、もっとできただろここは!? となる もっとできたよ絶対 もったいない

エイドリアンやタウ・セチ、広がっていく宇宙、アストロファージのオーロラ。宇宙のすべてが美しかったのも好きだった。

なぜ改変したかわかる部分と最初わからなかった部分が混在していたため終始原作と比較しての考察のようなていにはなったが、結論としては映画には映画の面白さがあったと思う。

真面目なことばかり書いてしまったけど(本当か?)、ロッキーがかわいかったし、ラストの手五本全部あげてひっくり返ってるエリディアンガキはアホでかわいかったし、ロッキーがグレースを呼ぶ音がコプみたいな 今吐きましたか?みたいな音だったときは大笑いしたし グレースのハグに応えてキセノナイトボールの中でみょんって伸びるロッキーはかわいかったし まだ言葉が通じないファーストコンタクト時のロッキーが、後ろを振り向けと言っても船に戻れと言っても通じないグレースに こいつほまにアホや…… と思っているのが表情や言葉がなくてもなんとなく伝わるところは愉快だった。

ヒットもしているようだし。いいことだ。ロッキーのグッズ作ってください。


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