【感想と考察】「テレビの中に入りたい」はなぜ怖いか

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A24配給「テレビの中に入りたい」。
見終えたときどういう感想をいだきましたか?私は
怖~~~~~~!!!
です。

何が心を撃つ唯一無二の物語だ。怖さしか残らん。

なぜ怖いのか。


何が怖いって、発狂しても終わらなかったところが怖い。
突然発狂して、自分の胸を切り開いて、中身にはあのころ愛したテレビが詰まっていて、それを眺めて

せめてここで終わってくれ~~~!!!

このあと弱々しく謝り続けても誰も耳を傾けてくれないシーンで終わるところが、さすがに怖すぎて、嫌
発狂しても現実は終わらなくて、暗いゲームセンターに戻っていかなきゃならないところが本当に嫌すぎる
せめて終わってくれよ発狂したら 発狂しても人生おしまいにならないところが一番、絶望

定期的に第四の壁を越えてオーウェンがこちらをじっと見つめてくるので、自分もいつか発狂するんじゃないか、と思わされるのも怖い。
いつか発狂して、それでも人生終わらなくて、いつか息ができない暗い場所に戻らなきゃならなくなるんじゃないか。
発狂したら全部おしまいになってくれよ。頼むから。

現実について、考察

怖さだけ喚き散らして終わってしまう。少しくらい考察みたいなやつをやる。

マディとは何か?

オーウェンのペルソナ、抑圧していた自分の解離した人格、あるいはイマジナリフレンドである、という説に賛成。
根拠として、土の下に戻ろうとオーウェンを誘うところ、マディは呼ばれるたびに何度も「それは私の本当の名前じゃない」と答える。
「私の名前はタラ」とは一度も言わない。

マディが本当に実在して、自分をタラだと思い込んでいるなら、多分「タラって呼んで」「私はタラ」と答える。タラだと思ってほしいんだから。
本当の名前はタラじゃなくて、オーウェンだから、マディは「本当の名前じゃない」とだけ答え続ける。

現実は何?

現実は現実、オーウェンが窒息しそうになりながら生きている現実、ゲームセンター、抑圧的な(亡くなってしまった)両親、何の面白みもないピンクオペーク、そういうもの。
但し終盤では、「現実の回想」であるはずの幼少期のテレビを見ている自分の記憶と、「幻想」であるはずのピンクオペークの、画面比が逆転している。ゲームセンターもミスター・メランコリーに侵食されつつあるし。

これはオーウェンにとっての現実が逆転してしまった、または解離性人格障害を発症している、という表現なのかなと思う。幼少期の記憶が主観ではなく、自分の後姿を眺める客観になっているところなど。

じゃあどうすればよかったの?

これ。
オーウェンには選択肢がない。
「本当の自分から目を背けて窒息しながら生きる」か、「テレビの中に入ってここからいなくなる」かしか選べる方法がない。
これがすごく悲しい。

「ここにいて、本当の自分になる」選択肢がオーウェンにはない。

クィア映画と明言されているそうなので、ここからはオーウェンがクィアであったことを前提として書く。あまり踏み込みすぎずに。

オーウェンが「ここにいて、窒息せずに生きる」ためには、時代の理解、家族や周囲の理解、仲間、愛、そういうものが必要だった。
というか理解って言うのも変だな。理解も何も他人のこと決める権利は本来誰にもないんだから。まあ一旦、傲慢にも理解としておきます。

そしてそれ以上に、自分への愛が必要だった。
もっとピンクオペークの美しさを信じなきゃならなかった。夢や幻想や物語を愛さなきゃいけなかった。でもできなかった。オーウェンのせいじゃない。そんなことは誰も教えてくれなかったし、そんなことできるような環境じゃなかったから。

それがとても悲しいなあと思う。ピンクオペークを美しい幻想だと感じたものとして。

それはそれとして感想


それはそれとして、前半部分は正直若干退屈だった。
もっとピンクオペークのシーズン5最終話とか、あとシーズン6がどう始まったのかとか、というかピンクオペークのあの感じをもっと見せてほしかった。

オーウェン(とマディ)の現実の鬱屈をちゃんと見せないと主題が成り立たない。わかる。わかりますよ。でも失踪したマディが戻ってきて話が突然動き出すまでの前半部分は、かなりだれるとこあると思う。

というかピンクオペークをもっと映してもよくなかったですか?実際 見たかったです。もっとたくさん。


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